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考証的に正しい航空戦闘

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ドイツ航空軍団列伝

ドイツ航空軍団列伝

地域割り、官職対応、そして機能割り

 ドイツ空軍高級司令部のひとつの役割は、「空地分離」の考え方に沿った地上部隊(ドイツの場合、これには膨大な空軍所属対空砲部隊が含まれる)と航空機部隊を統一指揮することである。航空管区(Luftgau)司令部が地域割りであることから、地域割りの高級司令部も存在しなければならない。大戦初期の4つの航空艦隊司令部は、まさにそのように配置されていた。

 航空艦隊という呼称が採用されるのは1939年2月からで、1938年2月の発足時にはLuftwaffengruppenkommandoという名称だった。空軍集団司令部と言うところか。だから航空艦隊には、陸軍の軍集団に対応する組織と言う性格がある。独ソ戦が始まったとき、北方、中央、南方の各軍集団には、それぞれ第1、第2、第4航空艦隊が協力した。第3航空艦隊は1944年までフランスに居続け、第5航空艦隊はノルウェーとフィンランドを管轄した。

 1942年に第2航空艦隊が地中海方面に動くと、中央軍集団に協力する司令部としてLuftwaffen-Kommando Ostが新設された。クルスク戦を控えた1943年5月、この司令部は第6航空艦隊司令部に昇格したが、昇格する前からいくつかの航空管区司令部への指揮権があったし、対空砲2個師団を使って地上でも中央軍集団を支援していた。

 チュニス航空軍団を含めて、航空軍団は大戦を通して10個(実質的に地上部隊である第XI、第XIII航空軍団を除く。またカムフーバーの夜戦司令部である第XII航空軍団と第I戦闘機軍団は実質的に同じものなので片方数えない)、戦闘機軍団は2個しか作られなかった。陸軍と親衛隊と空軍を合わせて36個軍が地上で編成されていることを考えると、陸軍の司令部との対応関係を保つには足りない。軍団司令部は広域的な調整(戦闘機軍団)や、専門化した部隊の重点投入(特に初期にシュワルツコフ、フランス戦以降にルーデルを擁したリヒトホーフェンの第VIII航空軍団)、爆撃機部隊の集中運用などに用いられた。

 ここでは航空艦隊クラスを省略し、その下の航空軍団について詳しく取り上げたい。

航空軍団、戦闘機軍団

I. Fliegerkorps 第I航空軍団

 当初は3個爆撃航空団を中心としており、フランス戦では第2航空艦隊に属し、その後8月ごろから第3航空艦隊に移ってバトルオブブリテンに参加した。独ソ戦では戦闘航空団と半々に近い構成となり、当初北方軍集団、1942年夏季攻勢以降は南方軍集団を支援し、マンシュタインのドン軍集団を支援する部隊として一時期Luftwaffenkommando Donと呼称した。1945年4月に第18航空師団に格下げされている。ルーデルは基本的に第VIII航空軍団にいたが、スターリングラード戦からクルスク戦までふたつの航空軍団が肩を並べるように戦っており、SG2の一部はこちらの航空軍団指揮下に入った時期もある。また同じ時期に、ハルトマンとバルクホルンのJG52も配属されていた。

II. Fliegerkorps 第II航空軍団

 第I航空軍団とは逆に、フランス戦では第3航空艦隊に属し、その後地中海に進出する第2航空艦隊についていった。アフリカでの戦いの主役であり、イタリアから南仏へと後退し、最終的にはベルリン近くで防空司令部の性格を持つ北東方面空軍司令部となった。

IV. Fliegerkorps 第IV航空軍団

 爆撃航空団を中心としており、第I航空軍団とともにフランスで第2航空艦隊から第3航空艦隊に移ってバトルオブブリテンを戦った。独ソ戦では第4航空艦隊に属して南方で戦い、チェルカッシー包囲戦の後第6航空艦隊に移って中央軍集団を助けたが、クアラントではなく西プロイセン方面に後退した。1944年にはデンマークの地域司令部に降格された。配下の爆撃戦闘団には東部戦線に残ったものも、V-1母機部隊として西部戦線に移ったものもある。

V. Fliegerkorps 第V航空軍団

 フランス戦のあともパリ近くに布陣してイギリス方面の攻撃を続けていた。司令官は創設から廃止までリッター・フォン・グライムであり、リュクサンブール宮殿にある第3航空艦隊司令部のすぐ近くで、第4航空艦隊に属する航空軍団がずっととぐろを巻いていたのはやや不自然である。ゲーリング腹心のフォン・グライムにパリ暮らしをさせるということであろうか。独ソ戦の序戦では第4航空艦隊に属し南方軍集団を支援したが、次第に手を広げていくドイツ空軍の中にあって、一部はマンシュタインのクリミア作戦を支援する「Sonderstab Krim」となり(弱体であり1942年2月に早くも廃止され、クリミア戦の決定的時期にはリヒトホーフェンの第VIII航空軍団が支援にやってくる)、残りは第2航空艦隊の穴を埋めてLuftwaffen-Kommando Ostとなった。グライムは後者の司令官となり、第6航空艦隊昇格まで勤め続けた。

VIII. Fliegerkorps 第VIII航空軍団

 ポーランド戦では、シュワルツコフのSG77などのスツーカ部隊を統括し南方軍集団の第10軍を支援した小さな司令部だった。その後もスツーカ部隊を中心とする構成を取り、リヒトホーフェン元帥のリーダーシップもあって地上支援の中心として激しく転戦した。1944年になると、もともとオーストリア空軍をもとに編成した第4航空艦隊はハンガリー、ルーマニアなどで戦うようになり、第VIII航空軍団は第6航空艦隊の下に移って戦い続けた。

IX. Fliegerkorps 第IX航空軍団

 1940年11月、リバプール沖を中心にドイツ空軍機によるイギリス商船攻撃が最高の戦果を挙げていた頃、機雷敷設に従事していた第9航空師団が昇格して創設された。すぐにフランスから出撃するドイツ機による艦船攻撃は下火となり、それほど仕事はなかったはずだが、廃止されなかったのは海軍の反発を恐れたからだろうか。結果的に、フランスで再編する爆撃機部隊を束ねて、学校部隊のようになっていたと想像できる。ノルマンディー上陸後はIX. Fliegerkorps(J)となって、戦闘機部隊に改編される爆撃機部隊(爆撃航空団(J)と表記された)を束ねると同時に、第I戦闘機軍団の代わりに防空戦闘をコーディネートした。なお多発機同士の改編としてMe262を装備した爆撃航空団(J)もあったが、Me109をあてがわれた部隊もあった。

X. Fliegerkorps 第X航空軍団

 ノルウェー攻撃では爆撃隊を束ねた。その後は偵察機部隊中心の構成となり、ギリシア方面を統括していたが、1944年になって西部戦線に呼び戻され、一部はアテネに残ってギリシア方面空軍司令部に改組された。第X航空軍団というといろもの対艦兵器のイメージがあるが、これは1944年になってKG100が配属されたためである。

XI. Fliegerkorps 第XI航空軍団

 この軍団は降下猟兵と関連が深い地上軍団である。だから降下猟兵の上級司令部について書いておいた方がわかりやすいだろう。

 先に触れたように、航空艦隊は1938年2月の発足時には空軍集団司令部と呼ばれていたが、間もなく航空艦隊と改称された。オーストリア併合は改称後だったので、オーストリア空軍は第4航空艦隊となった。だから第2次大戦が始まったとき、航空艦隊は第4まであった。

 この航空艦隊の下に、1938年のうちに航空師団が編制された。つまり航空管区司令部など地上部隊まで束ねるのが航空艦隊、その下につく航空機部隊の最大単位が航空師団というわけである。第1から第5航空師団までの航空師団は、ポーランド戦が終わった1939年10月に同じ番号の航空軍団に昇格した(第3航空師団だけはしばらく第2航空艦隊に「 General z.b.V. der Luftflotte 2」という名前で間借りし、のち分離して第10航空師団、すぐ昇格して第X航空軍団となった)。第6航空師団は対空砲軍団であったらしく、1939年に第I対空砲軍団が新設されるのに合わせて、第II対空砲軍団と改称された。

 第7航空師団は、このような連番構成で1938年に創設された7番目の航空師団だった。降下猟兵部隊と、その輸送に使われる航空部隊を指揮していた。1943年5月になって第1降下猟兵師団が編成されるのだが、それまで降下猟兵があちこちに分散投入されて便利使いされていたのは、空挺作戦を前提とした上位部隊しかなかったのが一因であろう。陸上でも師団単位で投入することを前提として、純陸上師団を作ったわけである。

 実はそれに先立ち、1941年1月に第XI航空軍団が編成され、降下猟兵の学校部隊や降下用の輸送機部隊を束ねていた。第7航空師団を部下に渡したシュトゥデント中将(のち大将)が軍団長を務めた。

 うがった見方をすれば、1943年夏から秋にかけて空軍野戦師団が陸軍に移管されたことと、降下猟兵師団の増設努力は表裏の関係にあるかもしれない。もっと兵質の良い空軍地上部隊を作ろうという努力が、また始まったわけである。

 1943年のうちに第4まで、1944年のノルマンディー上陸までに第5と第6降下猟兵師団が編成された。第1と第4師団はもっぱらイタリア戦線で戦い、第2師団は東部戦線で戦った後ノルマンディーへ休養にやってきて、最後はブレスト要塞で孤立して降伏した。第3、第5、第6師団は多かれ少なかれノルマンディーで戦っている。こうした背景があって、第XI航空軍団は1944年9月、第1降下軍に昇格して、野戦軍となったのである。

XII. Fliegerkorps 第XII航空軍団

 別項で書いたように、カムフーバーが夜間戦闘で権限を拡大し、失っていく過程は、編成の上にも現れている。まだバトルオブブリテンの続く1940年9月、カムフーバーの下で第1夜間戦闘機師団が作られ、NJG1が指揮下に置かれるとともに、いくらかのサーチライト部隊を指揮下に収めた。1941年8月、これが拡大されて第XII航空軍団となるとともに、空軍通信連隊がいくつもその指揮下に入った。レーダー基地部隊が相当数含まれていたと思われる。同時にサーチライト部隊も増強されて第1探照灯師団、第2探照灯師団として軍団の指揮下に入ったが、「暗い夜間戦闘」が主流になると解体されてしまった。また軍団の下に広域的な迎撃指揮を担う「戦闘機師団」ができると、レーダー基地部隊はそちらに移ったので、見かけ上傘下部隊のリストからは消えている。

 1943年9月、この軍団は第I戦闘機軍団と改称された。カムフーバーはこれに合わせて「夜間戦闘機総監」という実権のない職に干され……いや補され、11月に第5航空艦隊司令官としてノルウェーに飛ばされた。1945年になって、第IX航空軍団がこの軍団の役割と残余資源を引き継いだ。

XIII. Fliegerkorps 第XIII航空軍団

 1942年10月、空軍師団マインドルを改組してフランスに作られた。マインドル自身はクレタ島作戦にも参加した降下猟兵であるが、東部戦線でのマインドル師団の踏ん張りが空軍野戦師団を生み出し、そのフランスにおける訓練のために働くことになってしまったらしい。

 これを第I軍団として、4つの空軍野戦軍団(Luftwaffen-Feld-Korps)を作り、空軍野戦師団を統括させるという構想があったが、第I軍団は結局改称を取り消されて欠番となった。空軍野戦師団が陸軍に移管されると当然軍団司令部も無用になる。第II軍団は第XI航空軍団の項で書いたように降下猟兵師団が拡大されると、第I降下猟兵軍団となってイタリア戦線で戦った。第III軍団は対空砲軍団に改組され、第IV軍団は南フランスでわずかな陸軍師団を率いていた(空軍籍のままにしておくと、通信機材などを空軍が出してくれるので、陸軍もほっておいたのだろう)が、陸軍の第LXXXX軍団が1944年にイタリアで再建される際、資源を提供して消滅した。

 1944年、第XIII航空軍団は第II降下猟兵軍団となって、第1降下軍の指揮下に入った。

XIV. Fliegerkorps 第XIV航空軍団

 1943年4月、輸送機部隊を統括する部隊として創設された。1944年8月、空軍総司令部の輸送機総監に軍団長が横滑りし、職務を引き継いだ。部隊間の調整や訓練がもともと任務であったと思われる。

Fliegerkorps Tunis チュニス航空軍団

 チュニジアに呼び集められた、あるいはサルジニアなどからチュニジアに飛来する空軍部隊を統一指揮するために、「アフリカ航空指揮官」が航空軍団に昇格し、ザイデマン大将が引き続き司令官を務めた。1943年2月から5月まで存在した。「アフリカ航空指揮官」の後任も任じられているので5月まで併存したと思われる。

I. Jagdkorps 第I戦闘機軍団

 上記XII. Fliegerkorps参照。

II. Jagdkorps 第II戦闘機軍団

 第I戦闘機軍団と同時に作られ、フランスとライン中流域の戦闘機師団などを統括した。ただこれは要するに、第3航空艦隊司令官シュペール元帥の縄張りを防空体制から切り取って元帥の指揮下にとどめ、カムフーバーのような成り上がりに二度と指図めいたことは言わせまいという組織改編のように思える。


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Last-modified: 2017-08-31 (木) 04:31:04 (808d)